越冬

訴えたいことが、ないんです

ムー的世界

オカルト大好きっ子なのだが、当人には全く霊感が無い。

実はわが町には超有名な幽霊屋敷がある、正確にはあった、のだが、幽霊の目撃情報続々であるにも関わらず、一度も見たことはなかった。一度、若い男性の姿がその屋敷で見られたのだが、その男性は普通に実在の人物で、管理会社から派遣されて窓を開けて風を通しに来ているだけの人物であった。

そのようにオカルト的、スピリチュアル的な経験がほぼ無いものの、無いからこそ、そういう話を聞くのは大好きである。

先日、東京に遊びに行った折、そこで一緒に遊んだお二人とお寺でおみくじを引いた。皆、吉だったのだが、一人はいつも運の調子に合ったおみくじを引くのだという。調子のいい時は大吉、悪い時は凶と、ちゃんと連動しておみくじの結果が出てくるらしい。凄い。そしてもう一人の人は、当人ではないのだが、その人の弟が、おみくじで凶を引く確率が八割なのだという。凄い。凶、なかなか出ないのではないだろうか。大吉と凶であれば、凶の方がおみくじの中に入っている確率は低いのではないだろうか。それを八割の確率で引くというのは、凄い話である。スピリチュアルな観点から言えば、なんでそんなに神様の反感を買っているのかという純粋な疑問も湧いてくる。

神様に愛される人、というのも滅多にいないだろうが、神様に愛されていない、といっても不幸続きの人生なわけでもなく、ただおみくじはほぼほぼ凶、というのも絶妙な嫌さ加減で味わい深いものである。

ゲスのクラウドファンディング

わりと募金する方である。日本赤十字、JPF、クラウドファンディングや、最近は児童養護施設なんかにも募金した。そうするとはたから見ると篤志家という感じにも見えそうだが、勿論違う。募金する動機は、この先も住み良い日本が続いて欲しいから、それが一番正直な理由だ。私が年老いても、この先も今のようにまあまあ住み良いいい感じの日本が続いて欲しい。そんな気持ちで募金している。

動機がそれなので、例えば災害があれば住み良い日本をキープする為に募金する。日本赤十字やJPFなんかはその例だ。それから児童養護施設は、子供は日本の未来を担うので、先行投資的な気分で募金する。貧しい不幸な子供が沢山いるよりは、たとえ生い立ちに不幸があっても教育を受ければなんか立派な子供が育って、住み良い日本を維持してくれるんじゃないか。そういう下心である。そしてクラウドファンディング。これは主にready forとacademistに募金している。アカデミストはその名の通り学術系クラウドファンディングである。日本の研究者に投資ができる。科学に金を注いで日本が学術先進国であり続けて欲しい。何か有用な発見をして特許を取り豊かな日本を維持して欲しい。下心満載で募金している。

そして、ready forなんだが、これはご存知の方もいると思うが、日本最大のクラウドファンディングのプラットホームである。募集の内容に特に制限は無いので、多種多様な募集がされている。私は先に述べたような理由から、未来を守る為の先行投資としてなんかごちゃごちゃと募金している。ごちゃごちゃやっていたら、結構長いことやっていたようで、先日ready forの懇親会的なものにご招待を受けたというか、懇親会に申し込みできる案内を受けたが、申し込みはしなかった。何故なら私は篤志家では無いからである。特にready forは、応援半分、ウォッチ半分であるので、とても皆さんと懇親出来るような立場ではない。ready forは純粋に応援して募金するものも沢山あるが、しかし何と言っても面白いのは、そんなもん自分の金でやれ、人の財布を当てにすんなボケが、と思うような案件が成立するのか否か、ニヤニヤと見守ることである。

例えば、大阪でバーを改装したいので改装費を募集します!と書いてあるのだが、何故かプロフィールには某高級外車に乗ってます、という謎の自慢混じりのプロフィール。アホか。売れ。その車を。車を売って改装費に充てろ。そんでお前は軽にでも乗っとれ。ーーーという、こんなツッコミどころ満載の募集案件を見つけたら、すぐさまお気に入りに登録する。そして一ヶ月後、無事に不成立になっているか見に行く。やっぱり不成立である。せやろ。見たか!世の中甘くないんや!ばかちんが!とエセ関西弁できめつける。

そういうゲス活動をしていたところ、Facebookでとあるクラウドファンディングの案内があった。誰かがいいね!を押したせいで記事が上がってきたようなのだが、誰かの繋がりの知らないお方が、新しく事業を展開するために、資金の一部を募集する、という話であった。私は俄かに色めき立った。

今まで確かに楽しい案件は沢山あったが、直接の知り合いがやっていたことはない。これも直接の知り合いではないが、ワンクッション置いた他人である。近い。これは面白い。

私は早速、そのFacebookの記事のコメント欄を見に行った。皆の反応が気になったからだ。もし繋がりのある人が募金を集めています、と記事を上げたらどうだろう。無視するのも微妙だし、かといって勿論金は払いたくない。つまりこれは、人の繋がりを金に変えようとしている訳で、事業の展開など、どう考えても銀行で金を借りろと言いたくなるような話の場合、どうコメントするのが最善なのか。私はワクワクしてコメント欄を見た。

『すごい!僕に出来ることがあったら何でも言って下さいね!応援しています!』(金は出さない)

『頑張ってね!私もクラウドファンディングをやっているので応援よろしく!』(まさか逆に要望されるとは。強い。見習いたい)

『応援してるよ!拡散しておくね!』(これが一番多い反応だった)

皆、お金は出せないよと暗に含めつつ、応援してます!拡散しておくね!いいね!ということであった。

そして募集している総額100万に対し、実際集まっている額は4万であった。Facebookで友達が沢山いても、お金は集まらない。集まるのはいいね!だけなのである。いいねで腹は膨れないんである。

実はこの記事を見かけたのはしばらく前のことで、つい昨日、思い出してその案件を見に行ったところ、やっぱり4万円から増えていなかった。このまま行くと不成立まっしぐらである。あと何日かあるが、どうなるのか、ニヤニヤと見届けたい。

ready forや、他のクラウドファンディングでもそうだが、見返りが特に魅力的なものでなくても成立する場合は、公共性が高いもの。社会福祉に貢献しているものが圧倒的に多い。反対に、そんなモンは働いて金を貯めてやれと思うものや、事業資金なら銀行から借りろと思うものは大体不成立になっている。金は安易には手に入らない。それでいいのである。待ちぼうけの歌のように、うっかり労せずして大金を手にすると、次も期待してしまう。そして本来するべき正当な努力やアプローチを忘れてしまう。それではいけない。金は貯めるか、銀行から借りるべきである。そして、借りた金は汗水垂らして働いて、返さねばならんのである。クラウドファンディングで資金調達、雲を掴むような話であって、掴めぬのは道理なんである。

積ん読

積まれている。

とりあえず手に入る内に、出版業界を応援するつもりで、目につくものを買い続けてきた結果、どんどん積み上がった。積ん読本は積ん読袋と読んでいる紙袋にまとめて入れているのだが、段々その中にも入りきらなくなってこようとしている。

一体、今この袋の中にどれだけ未読の本があるんだろう。

一度リストアップしてみたいと思っていた。袋から取り出してみると、多いような思っていた程でもないような気がしつつ、下にその作品名を挙げていく。

 

『百頭女』マックス・エルンスト

灯台守の話』 ジャネット・ウィンターソン

『月の部屋で会いましょう』 レイ・ヴクサヴィッチ

『なんらかの事情』 岸本佐知子

エドウィン・マルハウス』 スティーヴン・ミルハウザー

悪童日記アゴタ・クリストフ

『侍女の物語』 マーガレット・アトウッド

『暗黒 上・下』 アロイス・イラーセク

『スキャナーに生きがいははい』 コードウェイナー・スミス

『アルファ・ラルファ大通り』 コードウェイナー・スミス

『三惑星の探求』コードウェイナー・スミス

『合葬』 杉浦日向子

ギリシア神話を知っていますか』 阿刀田高

旧約聖書を知っていますか』 阿刀田高

新約聖書を知っていますか』 阿刀田高

『郊外へ』 堀江敏幸

日影丈吉傑作館』 日影丈吉

ミュシャのすべて』 堺アルフォンス・ミュシャ館協力

『いろいろな人たち』 カレル・チャペック

『園芸家の一年』 カレル・チャペック

『ジーヴズの事件簿 大胆不敵の巻』 P・Gウッドハウス

灯台へヴァージニア・ウルフ

魔の山 上・下』 トーマス・マン

『昭和史 戦後篇』 半藤一利

『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』 ジョン・ル・カレ

『旅は驢馬をつれて』 スティヴンスン

百年の孤独』 ガルシア=マルケス

『あの頃』武田百合子

 

ここから内田百閒シリーズ

百鬼園先生言行録』 内田百閒

『間抜けの実在に関する文献』 内田百閒

忙中謝客』 内田百閒

『深夜の初会』 内田百閒

百鬼園戦後日記』 内田百閒

サラサーテの盤』 内田百閒

『贋作吾輩は猫である』 内田百閒

ノラや』 内田百閒

まあだかい』 内田百閒

タンタルス』 内田百閒

阿房列車』 内田百閒

『立腹帖』 内田百閒

『内田百閒』 新潮日本文学アルバム

『内田百閒文学散歩』 備仲臣道

『内田百閒と私』 中村武志

 

数えてみたら、44冊である。本棚にまだ何かあるような気もするが、袋に無いものの捜索は諦める。50冊超あると思っていたので、思ったよりも少なくて、良かった、と思うべきか。

さて一体ここから今年中に何冊読めるだろうか。

 

 

備忘

早稲田文学女性号増刊 ルシア・ベルリン『掃除夫のための手引書』

創元SF文庫 レイ・ブクサヴィッチ『月の部屋で会いましょう』

足揉み

足のマッサージにはちょっと自信がある。才能があるんじゃないかと思っている。

特に専門的な知識はないが、私の足揉みには無限の可能性が秘められている。

時々足ツボマッサージやら、リフレクソロジーやらに行くが、足揉みだけなら私の技術も負けていないんじゃないかと思う。というか、そこらのマッサージ屋には出来ないことが私にはできる。

 

何ができるかというと、時間をかけてひたすら揉むことができる。商売じゃないので、片足一時間、両足で二時間。ひたすら足だけを揉む。それだけ揉むと人の足はとてもいい具合になる。私はそれを知っている。

マッサージ屋は二時間コースともなれば全身くまなくやるだろうが、本当なら足だけで二時間かけてもよいのだ。足揉みを真剣にやり出すと、片足一時間は普通にかかってしまうのだ。

まず、私の場合、台湾式のようにいきなり全力で足ツボを押したりはしない。まずはやわやわと、足の裏全体を柔らかめに揉む。柔らかめに揉んで、硬く強張った足の裏をほぐしていく。全体を揉んでほぐしていったところで、おもむろに足ツボを押していく。一気に強くは押さず、じわじわと力を強くしていく。そうすると、だんだん痛さに耐えられる程度に奥深くまで足ツボを押していける。そしてふくらはぎも揉みほぐす。足首と、ふくらはぎの裏面を始めは弱めに、徐々に強く揉みほぐす。

これをひたすら時間をかけて両足揉む。上手く揉みほぐれてきて、調子が良くなってくると、お腹の働きがよくなるのか、お腹がギュルギュル言い出す。目安としてお腹が鳴るまで頑張ろう。

 

と、いうような感じで揉むと実に良い感じで足が解れる。いきなり力を入れすぎて足を痛めることもない。おすすめなんであるが、私の技術は他の人にしか使えないので、私がもう一人いて、お互いに足を揉みあえたらいいのになあ、誰か足を揉んでくれないかなあ。二時間も揉んでくれたら最高なのになあと思うんである。

夏休み、満喫

と書くと夏休み中に何かしたみたいで、やや嘘になるのだが、この七月八月と、頑張って遠出したので思い出しつつ書いていきたい。

 

七月

ベルギー奇想の系譜展を観に東京へ行った。

目的はこの展覧会の目玉であるトゥヌグダルスの幻視、ヒエロニムス・ボスの作品である。昔からボスが好きだったので、これは観に行かねばなるまいと、東京渋谷のbunkamuraまで出掛けていった。ボスの作品は素晴らしく、それ程大きくないキャンバスに、緻密で幻想的な世界が繰り広げられていた。その他は、中世のボスに影響を受けた作品を興味深く見た。その後、bunkamuraの近くにあるカフェ、ドゥ・マゴでお茶をした。ジョジョに出て来るカフェだ……というしょうもない感慨に浸りながら。カフェは素敵なカフェだった。

その後、ネットのお友達で、かれこれ五年は会っていなかったであろう世田谷在住のマダムに会ってきた。旧交を温められて良かった。東京は前にも行っていたけれど、別の人に会っていたせいで、なかなか会えていなかったのだ。東京は行くたびに、新幹線で行けばすぐだと思い、またすぐに来ようと思うのに、次に来る時には間が空いてしまう。今回も、またすぐに来よう、会いたい人に会おうと思って名古屋に帰った。

 

八月

お盆の間に京都に行った。

行きたい行きたいと思って、なかなか行けなかった上賀茂神社と下賀茂神社に行ってきた。行きたい行きたいと思いつつ行けなかった場所が多すぎる。京都なぞ新幹線で40分程なのに、何故こう腰が重いのか。

それはさておき、ようやく重い腰を上げて行った京都は大変良かった。バスに乗ったのも久しぶりだが、真夏の京都は意外にそれほど混まないようで、バスに乗ったまま立ち往生ということもなく、スイスイと進んで行った。上賀茂下賀茂は一度行ったことがあるのだが、美しいので再度訪れたいと思っていた所だ。夏休みで国宝を特別公開しており、どちらも見ることが出来て良かった。

そして下賀茂神社では古本市がやっており、ここでこれを見だしては時間が、と思いつつも全部の店を見て回ってしまった。面白かった。やはり京都は大学が多いせいか古都だからなのか、古本市にしても、文化の香りがするなあと羨ましく思う。京都は京都であることを誇りに思っていることが、町の中を見ているだけで伝わってくる。いい所も面倒な所もあるのだろうけど、ずっとこの空気が続いてくれたらいいなと思った。毎回断念しているが、今度こそ、真冬の京都に行ってみたい。完全防備で。

贅沢は素敵だ

最近、私の周りで一大節約貯金ブームが来ている。

私に来ているわけではなく、私の周りに来ている。

皆、ある程度歳を取って、将来に対する不安とか、そろそろ真面目に貯金せねばとか、思っているらしい。

しかし私は今、時計が欲しい。

今まで、安い時計を使ってきた。今使っているのは三万円ぐらいの時計だ。デザインは気に入っているし、特に不足は無いのだが、欲しいのだ。高級腕時計が。

世間ではダニエルウェリントンだか何だか、おしゃれな、おしゃれというかノームコア的な時計が流行っているが、私が欲しいのはそういう何となくおしゃれでまあまあな腕時計ではない。ガチの高級腕時計。ガチのやつが欲しいのだ。

ガチとは何かというと、見た目の好みを言うならブレゲのクラシック、パネライのレディオミールがいいのだ。いかんせん、男物の盤面がでかい物であって、私のように背も無ければ腕も貧弱な者には到底男物の腕時計は着けこなせない。そして流石に高すぎる。

女性ものとしてはカルティエのタンクアメリカンがいい。女性らしく素敵だ。私は周りをダイヤで囲んで頂く必要は無いので、その点あまり高くなりすぎない。お値段三桁万円だが、いつかは欲しい。そういう憧れの品である。

そして先日、バーゲンも始まったし、人々にボーナスも出たことであるので、人混みに紛れて見て回れるだろうと思って、高級腕時計売り場に行って来たのだ。しかし行ってみて分かったのだが、誰もいない。ほとんどいない。ボーナスが出たから高級腕時計買うちゃろ、という輩は世の中には滅多にいないらしい。もちろん高級腕時計様はバーゲンなどに紛れて値下げなどしないので、白い値札のまま燦然と光り輝いていらっしゃる。

そんな人っ気のない高級腕時計売り場を私は歩いてきた。色々見て回って来た。高島屋にも、三越にも行った。店員は私が客ではないと見抜いたのか、軽く声を掛けて後は放置だった。

そうして色々見て回ったところ、やはり高い。そして盤面がでかい。そして画像で見て良いと思ったものでも生で見るとやはり違って見えるということが分かった。

生で見て回った結果、ロンジンが結構好みだと分かった。ロンジンの某シリーズはタンクアメリカンに似ていないだろうか。そして機械式に拘りがないので、クォーツでも構わない者としては、ロンジンはちょうどいい。値段も高級腕時計入門としては程良い値段ではなかろうか。

今後はロンジンを中心に見て回って、これぞという物が見つかったら、思い切って買いたい。できれば。数年以内に。