越冬

訴えたいことが、ないんです

うたかたの日々3

大阪に行ってきた。

インターネットのお友達に会ってきたのだ。

インターネットのお友達は五つぐらい年下(曖昧)なのだが、穏やかで面白くて頭が良くて文章が上手くて私もこんな感じになれたら素晴らしいと思う人で、大変楽しく過ごしてきた。

会うのは二年ぶりなのだが、まず私は人の顔を憶えるのが苦手なので、待ち合わせをしたものの、お互い『本当にこいつだろうな』という怪しみながらの再会になってしまった。

生憎の雨だったが、一緒に天王寺動物園を巡り、二人ともなんやかや言いながら見て回るタイプだったのでなんやかや言いながら見て回った。天王寺動物園、台風の影響がまだ残っていて、リス舎は壊れているし、コアラ舎のユーカリは倒れ、あっちこっちで台風の爪痕を感じて大変そうだった。そして、大阪らしいなあと思ったのが、動物の名付けがツウ、テン、カクとかハルカスとか、いちいち大阪らしく名付けているのだ。お友達曰く、大阪人はあえてそういうところで普通以上に大阪人らしく振舞ってしまうところがあり、これはそれに当たるということだった。

お昼は動物園から一旦出て新世界の喫茶店でミックスジュース発祥の店でナポリタンとミックスジュースを頼んだ。

再度動物園を見て回った後は、これが本来の目的だったのだが、ブックカバー展に行き、ブックカバーをしこたま買い込んできた。前回開催された時のブックカバーがまだ消化しきっていないのだが、また大量に買い込んでしまった。

ブックカバー展が開催された店が北浜だったので、お友達が調べてくれた北浜レトロというおしゃれな喫茶店でお茶をして、無職ヤバいという話を聞いて頂き、一体どのぐらいお金があれば生きていけるんだろうといういい大人が言う話ではないような妄言を繰り返した。

その後、お友達と解散して地元に戻ってきた。お友達は当日体調がいまいちだったのだけれど一日中付き合って頂いて、嬉しくも申し訳なくもあり。

色々、普通の話(これで会話するぞ、と決めたネタがなくても話せるという意味)で盛り上がれるぐらいに打ち解けて話せそうな予感がしたので、今度はまたそう遠くない内にまた会えたら良いなあと思いました。

そして私は仕事が決まり、再び働くことになりました。

うたかたの日々2

今日は失業保険の認定日なのでハローワークに行ってきた。

地元のハローワークは田んぼの中にぽつんと建っていて、いかにも田舎という風情だ。

日傘をさしながら、汗をかきながら歩いていく。

田んぼのある路には水路もあって、ドドドドと水が勢いよく流れていく音がする。

水路はどこかの家の敷地の中も通っていて、金網で柵がされた下を水が流れていく。いいなあ、こんな家。羨ましい。

ハローワークの最寄り駅には駅前にコンビニすらなく、駅からハローワークまでの道には何の商店もない。地理感もないので、どこかに何かあるか探索することもないまま、数ヶ月経ってしまった。

 

失業保険を受けるためにはハローワークで仕事を探す必要があるのだが、仕事探しで赴くハローワークは、名古屋市にあるハローワークを利用している。

実はそちらの方が家からは近い。駅前に近いハローワークに行けば、ついでに買い物なり何なりできる。

というわけで、失業保険の認定日以外田んぼの中に建つハローワークに行かない。認定日に行くとすれば、ギリギリまで働かなければあと二回だろうか。

錆だらけのトタンでできた家も、田んぼも水路も、もう見ることはなくなる景色なのだと思うと少し残念に思いながら最近は歩いている。

うたかたの日々

無職になった。

なったというか、退職を申し出たので無職に自分からなったのだが、無職である。

 

無職になる前は、私は外に出なくても花鳥風月だけで大丈夫なタイプではないかと思っていた。だが実際は、花鳥風月も必要なかった。外界の刺激がなくても大丈夫ということが判明した。

とは言っても家で呼吸をするだけの人になってしまうので、家事をしてみたり、車の運転の練習をしてみたり、友達に会ったり旅行に行ったりしている。しかし、外に出れば出たで、ああ外に出て良かったと思うものの、出なくても良い。

外というのは何をするにもお金がかかるようになっていて、少し喉が渇いてお茶でも飲んでやろうと思ったら、喫茶店に入れば500円、外で自販機で買えば150円ほどが飛んでいく。こうして、収入が無いにも関わらず、小銭は少しずつ飛んでいく。友達に会えば3000円〜5000円ほどはポンと消える。実に世知辛い世の中である。

以前、イオンなどの量販店のベンチで何をするでもなくぼんやりと座っている老人達を見て、あの人達は何をしているのだろうかと不思議に思っていたが、家は退屈、もしくは空調が効いていないなどの理由で外に出たいけれど、金は無い。なのであそこでああしているのだと無職になってようやく了解した。分かる。混じりたいわけでもないが、分かる。

 

こうなってくると、金のかからない遊びというのが重要になってくるが、幸い私は家で本を読んでいるかiPadで遊んでいれば充分なので、外に出て遊ばなくてもよい。今のところ飽きてもいないので、というか時間が足りない気すらしているので、新たな金のかからない遊びを見つけ出す必要はないが、もしもの為に考えておくといいかもしれない。

というわけで、いつかやろうと思っているけれど、実行には至っていない『遊び』をここに記しておく。

 

名駅から歩いて家まで帰る。

主に災害時に、どうしても家まで帰りたい場合に備えて、実際家まで歩いて帰るとどのぐらいかかるのか試してみようという試みである。何時間かかかると分かっているので、暑くもなく寒くもなく、元気な時に試したい。無料と謳っているが、まず一旦名駅まで出る必要がある。途中腹が減ったり喉が渇いて小銭を使う可能性があるが、この遊び自体にかかるお金ではないので良しとする。

 

自転車でどこまでも行く。

自転車でどこまでも行くシリーズである。シリーズというのは、東と西には何があるかは分かったからだ。今度は、北と南でもいいし、南東とか西北という手もある。

自転車でどこまでも行くのの利点は、歩くより遥かに楽であって、自転車かごに物が入るという点だ。荷物があると歩きの場合は時間をかけてじわじわと疲労が蓄積するが、自転車はへっちゃらである。

朝早い内に出て、日が暮れる前に帰ってくるのを目安にどこまでも自転車で行く。これもできれば暑くもなく寒くもない時がいい。途中お腹が空いて喉が渇くので、小銭必須である。

 

俳句、川柳をひねる。

やってみたいと思いつつ、普段頭から抜けているので忘れている。

なにかを見た一瞬の感動を句にするのがいいと思うけれど、ひねるぞ、と思わなければ俳句を作ろうと思っていたことすら思い出さないので、とにかくひねろうという心掛けを持たなければ始まらない。

 

思いついたことをメモ帳に記する。

例えば、カラオケで歌おうと思っても、あれっ、私の知っている歌って何があったっけということになりがちなので、知っている曲リストを作りたい。なおかつ、歌い始めに楽に歌えるもの、調子が出てきたら歌ってよいもの、難易度が高いもの、とリスト分けしておきたい。そうすればいざカラオケに行っても大丈夫だ。おもむろにメモ帳を取り出し、なにそれ、と言われながら曲を打ち込んでいくのだ。

または歩いていて浮かんだ良いフレーズを書き留めたい。友達に会った時に聞いた話を忘れないように書いておきたい。読んだ本や、見た映画の感想もちょっと書いてみたい。

ノートもペンもあるのにそれがなかなか実行に移せないのは、自分の性格のせいだ。ここの日記が全くまめに書けないのと同じ理由だ。

読んだ本

『恋日記』内田百閒

内田百閒の若かりし頃、16歳の栄造少年が、親友の妹、堀野清子に恋をして、数年間にわたる、その想いを書き綴った日記。

お前は清さんと鳴く鳥かというほど、清さん清さんと連呼している。清さんは容姿端麗、才女であって血筋も良い、しかし自分は容姿は十人並み、頭も良くなく(と言ってもその後、栄造少年は東京帝大へ進学するので当然非常に優秀なのだが、謙遜である)、血筋は悪くはないが、とても清さんとは釣り合わない、と初めの内は嘆いている。悲嘆に暮れるあまり、無理矢理別の女性に恋をしようとするのだが、やっぱり清さんが一番だ。ああ、清さん、清さん、と栄造少年は悶々としている。しかし、いつの間にやら、清さんこそ私の妻なるべし、清さんの他に女はおらず。などと決めてかかっていて、人の恋というのは実に愉快なものである。

というかこの恋日記は、首尾よく清さんとの恋が成就したら、こんな風に思っていたんだよと清さんに渡して、二人で仲良く読み返そうという、何故かめちゃめちゃ明るい未来を想定して書かれており、悲嘆に暮れていたくせにいい根性をしている、さすが百閒先生である。

そして百閒先生ファンならば何となく知っている、清子夫人の元を離れ、こひさんと同棲を始めた顛末が、百閒先生の次女がどうやらこんな経緯だったようです、と語っているインタビューが載っている。百閒先生ファンとして、清子夫人を棄ててこひさんと生活を始めた先生のことは、微妙な思いがあったが、この文を読んで、救われたような感じがした。

読んだ本

備忘録的に。

 

魔の山トーマス・マン

去年の十月末からかかって、今年に入ってようやく読み終えたもの。何度挫けそうになったことか。

ナフタとセテムブリーニの論争はほぼ理解せぬまま文字だけを追っていた。ハンス・カストルプは結局、セテムブリーニ始め、沢山の人に色々影響を及ぼされたかと思いきや、全然影響を受けぬまま、のんべんだらりと山の上で療養生活を続けた後、突如起こった第一次世界大戦に突然愛国心を突き動かされて、国に戻って兵役する。教育とは。

 

『郊外へ』堀江敏幸

エッセイというから実体験なのかと思ったら、小説であった。創作であった。下地となるフランス文学なりフランス映画の素養が無いのに読んでしまったせいで、あんまり理解できなかった。一般的にイメージされがちな、おしゃれで美しいフランスから離れた、寂しげで、寒々しい空気を感じさせるフランス郊外というものの存在を知れたことは良かった。

 

『うつくしく、やさしく、おろかなり』杉浦日向子

江戸を愛する杉浦さん最後のエッセイ集。江戸を愛する杉浦さんの、江戸愛に溢れた一冊。江戸の人の精神性。粋(いき)と粋(すい)の違いなんかが分かりやすく書かれていて面白い。江戸っ子は、ダメな恋人(愛人だったかな)のようだという杉浦さんの説明がまさにという感じ。今の日本人とは違う価値観。でも、折々に思い出したい。

 

『誠実な詐欺師』トーベ・ヤンソン

ムーミンの作者による、ムーミンを読んでいると時々あるひやっとさせられる文章をめいっぱい味わせられる作品。アンナとカトリのやり取りが恐ろしすぎて、読み続けるのに精神力を必要とした。カトリは、アンナから何もちょろまかさずに、お金を巻き上げるというつもりだったのかもしれないが、アンナの精神を一旦破壊している。カトリはアンナと関わったことで、弟と犬を結果的に失うことになる。アンナは再生し、カトリを赦し、今までの自分を乗り越えた新しい一歩を踏み出す。アンナの言葉はカトリに届いただろうか。

 

エドウィン・マルハウス』スティーヴン・ミルハウザー

主人公の少年による、ある少年作家の伝記、という体裁を取った小説。と書くと何ともややこしい。天才型のエドウィンと、秀才型のジェフリー、エドウィンの才能に惚れ込み、彼の友人として、しかし観察者として隣に佇むジェフリーが恐ろしい。エドウィンと遊びに出かけるジェフリーの描写は美しい。エドウィンの最後は、二人の関係らしいという感じもした。何事にも自覚的なジェフリーと、気まぐれで放埓なエドウィンだから。

 

『紅茶と薔薇の日々』森茉莉

森茉莉のエッセイは、何度読んでも、この人とは合わないな、と思いながら読み、そしてまた手に取ってしまう。思い込みが激しいというか、基準が何をおいても自分!!だから、変な発言も多いんだよね。この人は。しかし、幼少期から晩年に至るまで、確固たる美意識を持ち続け、美の世界を愛した森茉莉は大した人だと思う。こんな生き方、普通の人間には出来ないものね。

財布を買った

薄々気がついていたのだが、財布がもう限界なのだった。

濃紺で型押しのしてある財布で、使いやすくカードもいっぱい入って便利なのだが、端が擦れて広範囲に退色してきていた。

やっぱりもう駄目なのか、もうちょっと頑張ってくれんのか。悩みつつ騙し騙し使ってきたのだが、私より遥かに状態の良い美しい財布を使っている友人が「もうこの角が汚れてきちゃって、買い換えようかな」と話すのを聞いて、そうか、世間ではその程度でもう駄目なのか、そしたら私の財布はとっくの昔に駄目だったわ。と諦めがつき、買い換えることにした。

 

世間では若くからブランドの財布を持つ人もいるが、私の財布の歴史は長く安物を使っている歴史だ。

二十代中盤まで、ユニクロで買った黄色のナイロン製財布を使っていた。五百円だったと思う。安かったし、見た感じも安っぽかったが、長いこと使っていた。買ったのは高校生か大学生の頃だったが、ナイロン製なので洗えてしまったので、汚れては洗い、汚れては洗いして使い続けた。何度か友人にまだその財布を使うのかと言われたが、何の不満も無かったので、そのまま使い続けた。

しかしある日、彼氏が財布を見て、とても可哀想な感じで、誕生日にはお財布買ってあげるからねと私に言った。この財布はそんなにいけないのか。友達の忠告はあんまり真剣に聞いていなかったが、買ってまで私の財布を換えさせようという彼氏のその言葉は堪えた。そして、結局財布は買ってくれなかった。

そういうわけで、私はついにナイロン製財布に別れを告げて、新しい財布を買うことにした。やはり大人は革の財布だ、とデパートまで買いに行ったのだが、どれもこれも一万円を越す金額だった。駄目だ、高すぎる。

しかし折良く新年のセール中で、値下げされた財布達がワゴンの中に並べられていた。お値段、三千円。私はそこで、気に入った財布を一つ選び、ついに本革財布デビューを果たしたのだった。五百円の財布が三千円、六倍の価格にジャンプアップである。思い切った買い物だった。そして、財布を変えたら、換えろ換えろと言っていた友人達は誰か気がついて褒めてくれるかと思ったが、誰も何も言わなかった。世知辛い。嫌な世の中である。

革財布は薄い緑色で気に入っていたのだが、あっという間に汚れた。今度はナイロン製でもないので洗うことも出来ない。かなり汚れが目立つまで引っ張ったが、二年後、私は買い替えを余儀なくされた。

そして次も、新春ワゴンセールの中から三千円の財布が選び出された。前回の反省を活かし、薄い色で汚れの目立ちそうな物は避けた。次に選んだのは、黒とグレーの、馬が目をカッと見開いた刺繍が施された財布だった。

その財布は随分長いこと使っていた。色を上手く選んだのが幸いして、汚れは全く目立たなかった。表面の加工も、傷が付きにくくて良かった。しかし、私のセンスに疑問があるのか、私が財布を取り出すと皆、なにその財布。と言って、馬の刺繍をもっと良く見ようとするのだった。なにその財布、なにその財布と言われながら、数年間その財布を使い続けた。

 

そして、馬の刺繍の財布もついにボロくなり、今使っている濃紺型押しの、普通の財布に買い替えたのだ。これは雑貨屋さんに売っていたもので、一万円だった。三千円財布からまたジャンプアップなのだが、そろそろ本当にちゃんとした財布と思って、ついに一万超えの財布を買ってしまったのだった。

前述のように、大変使い易い結構な財布だったのだが、前回の馬の財布のインパクトが強すぎるのか、使い出して随分経ってからも、あれ、貴方の財布そんな財布だったっけ、と驚かれた。実は皆、馬の財布が好きだったのかもしれない。

 

と、いうわけで、また新しい財布を買った。五百円、三千円、一万円と順調にハイパーインフレを経験してきた財布だが、そうそう高い財布を買うことは出来ない。けれど、もうナイロン財布をガサガサ言わせていた歳ではないので、年相応に素敵な財布にも憧れがある。

実は出来心でセリーヌに財布を見に行ったのだけれど、完全に店員に存在を無視された。多分、溢れ出る貧乏人オーラのせいだと思う。もしくは、その日着ていた服がとても安かったからだと思う。店員が丁重に応対したら買ったのかと言えばきっと買っていないが、店員にフルシカトされて、私はしょんぼりと店を後にした。そして結局、13500円の、革の財布を買った。そして、一粒万倍日である11日に、新しい財布を下ろした。

実は、前回の紺色の財布ほど使いやすくない事が早々に判明してしまったが、これから数年間この財布とともに頑張っていこうと思う。