贅沢が好きだ
贅沢が好きなんである。
実際には庶民的な収入しかないので、贅沢がしたいなあ、と思い浮かべることしかできないが、しかしそれでも贅沢が好きである。
私のイメージする贅沢というのは、具体的な行動としては、高級フレンチ(もしくはイタリアン)に行く、その際には着飾る、また観劇、クラシック音楽を聴きに行く、オペラを聴きに行く等である。
どれも出来たらいいなあと思いながらなかなか機会がないものばかりだ。実際フレンチやイタリアンは行くことはあるがここに高級と名が付くとグッと頻度が落ちる。いいなあ、行きたいなあ。
それで、話は少しズレるのだが、私の考える贅沢・高級のイメージなのだが、広い道(ここ名古屋では広小路もしくは八事辺りでイメージする)沿いに、パルテノン神殿のような白い円柱が並ぶ立派な建物があって、その中に、豪奢な内装のレストランがあり、そこで着飾ってディナーを楽しむ、という図である。
昨今のおしゃれレストラン事情に詳しい方々はご存知だと思うが、今の高級レストランなどはあっさりとした現代的な建築が多く、私がイメージするベルエポック的なものは時代遅れであって、今こういった内装の店はほぼ無い。ゴブラン織りの椅子が備えられている席など今は見ないし、多分今実際にあったら若干『ダサい』ということになってしまうのかもしれない。
しかし私が大人の世界に一歩踏み出した25歳ごろ、ということは15年前であり、その頃はまだそう言う『高級』のイメージはギリギリ生きていた。そういうものに憧れを抱きつつ、憧れのままあまり実際に店に行くという機会は少なかった私は15年経った今もその頃のままのイメージで憧れを抱き続けている。
宝くじが当たったら、頭の中のイメージ通りの贅沢をしてやるぞ、という気持ちはあるのだが、残念ながら私のイメージする内装のフレンチはその頃には存在していないだろう。
空想の中の私は、秋の入り口、少しひんやりする夜の道を歩いている。道沿いには私の夢のレストランランがあって、ライトアップされて白い円柱は黄色く浮かび上がっている。これから店に入るのか、それとも食事を楽しんで店を出たあとなのかは分からない。少し雨が降ったのか、道は黒く湿って、アスファルトの匂いがしている。私はワクワクした気持ちで道を歩いている。まだ元気いっぱいで、夜はこれからだ、と思っている。
春の不調
またすっかり時が経っている。
色々あったような気もするけれど、大体はどうでも良いような事ばかりがあった。
ここ数年毎年なのでいいかげん学習してきたが、春といのは精神の調子が悪い。
なんとなくイライラして、なんとなく落ち込む。今年こそはそんな自分を上手くコントロールするぞと意気込んでいたが、具体的にはマッサージに行くつもりだったのに、結局行かぬまま不調の波は去っていった。
来年、もし日記を見返すことがあれば自分へのメッセージとして残しておきたい。不調は3月頭から三週間ほどだ。その間、なるべくマッサージに行ったり、美味しいものを食べたり、お肉を食べて貧血にならないようにして元気に過ごすように頑張れ。
そういえば先日走っていて転んだ。両膝を擦りむいて、二週間ほどで擦り傷は治ったが、変な風に手をついたせいか左手の小指が痛む。
一月ほど経ったがまだ痛い。いつ治るのかやや不安だ。不安になりながら、病院には行っていない。自然治癒力を信じる。頑張ってくれ。
犬
髪を染めた後の数日間、髪の毛を洗ってドライヤーをしていると臭い犬みたいな匂いがするんだけど、どこに犬成分があるのだろうか。
臭い犬の匂いといえばうちの死んだ犬である。かつて私は、犬の背中に顔を埋めて「くさい」と言いながら一生懸命匂いを嗅いでいた。
しかし、今、こうしてドライヤーの風に乗って匂ってくる臭い犬臭は死んだ犬よりももっと臭い。何故なんだ。
風邪をひいた
風邪をひいた。
喉が痛いな、と思い、あれよあれよという間に風邪になってしまったのだった。
一週間ほど熱っぽく怠い体のまま会社に通い続け、わりと早い時点で喉の痛みは治まり、ようやく体の怠さは抜けてきたのだが、鼻水だけはまだ続いている。
読書の記録もつけぬまま、本を買っては読んで捨てている。多分読んだことも忘れてしまうんだろうなあと思いつつ。
それで、本を捨てた。本を入れている引き出しが限界になったので、六十冊と決めて捨てた。買った時に数千円したものや、あまり品揃えの悪い本屋では簡単に再入手できないと分かっているものは二の足を踏んでいたが、放っておくとその手の本で溢れかえることが分かったので、とにかく捨てていくことにした。
石牟礼道子の本を亡くなった折に色々買ったのだが、読み終えたのでどかんと捨てる。エッセイはほとんど女性のものばかり読んでいて、それは生活の匂いがするところが好きだからなのだが、石牟礼道子のエッセイはその生活の匂いが強すぎて、情感たっぷりで素晴らしいには違いないのだけれど、手放すことにした。
昭和の女性は、やはり家事能力が高いせいなのか、こしらえごとを疎かにすることに警鐘を鳴らす話が多いのだけれど、もう平成も通り過ぎてしまった私には「そんなもんですかねえ」という気持ちになる。生活の話は好きなのだが、現代社会では到底追いつかないような話を持ち出されると鼻白む厄介な読者、それが私だ。
ところで先日私は、三万円以上したジャケットの袖の裁縫が悪くて、自力でまつり縫いをしたのだが、まずまつり縫いのやり方をググるところから始めた。そしていい値段を取っておきながら悪い縫製である某ブランドへの呪詛を撒き散らしながら一時間以上かけて袖をまつった。出来は今ひとつだが、とにかく糸でまつられたので、用は足すことと思う。ああ、生活力があれば、と思うが、裁縫の腕を上げるほど手芸をする気も起きないのである。
戻れなくなって
昔、オタクの友人に、あの頃の気持ちに戻りたいからアニメを見るの?と聞いて、「はあ?」という反応をされたことがある。単純にアニメが好きで、好きだから見ている。どうもそういうことらしい。
アニメは全く見ていないが、そういった情報(特に子供向けよりは深夜枠のオタク向け)に遭遇すると、自分が高校大学のあの頃に戻った気分になった。
人がオタクやサブカルといったものにどっぷりハマる時期は、高校大学の頃ではなかろうか。実際の私はテレビ自体あまり見ない人間で、その頃大ヒットしていたエヴァンゲリオンを友人にビデオで借りて一度見たぐらいで、深夜アニメを懐かしく思えるほど見てこなかったくせに、何故だか懐かしく思ってしまう。
あの世界には永遠の高校生がいて、永遠の大学生がいて、終わらない青春と終わらない恋と終わらない鬱屈がある。
だから、実際は見る気はないのに、なんとなく、気になっていた。
ところが、ここ数年、ついに深夜アニメの魔法が自分に効かなくなった。
ついに高校、大学時代が地続きではなくなってしまったのだ。
制服を着た男女の恋愛が、パッとしない俺たちの物語が、私の郷愁から離れていって、ついに自分とは関わりのない『高校生の物語』になってしまった。
実は、この記事は別のところにずっと下書きとしてあったもので、数年経っている。
今、見直して、そういえばそんな気持ちを抱えていたなと思い出して懐かしくなって書いたものだ。
青春は外から見ると激しく燃えているが、中は虚ろだ、みたいな文があったけれど、あの頃はまだ、激しく燃えている青春が気になるだけ若かったのかもしれない。今はただ、山の彼方に上がる花火のようだ。
あけましておめでとうございます
すっかりさっぱり日記をサボるようになってしまいました。
去年は、転職、ヘルニアが整体に行き始めたら合うところに当たって良くなってくる、などのことがありました。
今年のカレンダーは谷内六郎です。
谷内六郎好きな私としてはなかなか楽しみなカレンダーです。
ちなみに去年は滝平二郎でした。モチモチの木のあの方です。
谷内六郎は週刊新潮の表紙を長く描いて来られた方ですね。といっても既に昔の話なので、ああ、あの絵の、と、この説明で通じない人もいるだろうなあ。
谷内六郎は、我が家に絵本歳時記という本がありまして、小さい頃に何度も何度も読んでいたので、こういう『昭和的な』ものが我が身に刷り込まれていったわけです。
今年で平成も終わろうとしていますが、昭和のノスタルジーのように平成も懐かしく思い出すようになるのでしょうか。
うたかたの日々3
大阪に行ってきた。
インターネットのお友達に会ってきたのだ。
インターネットのお友達は五つぐらい年下(曖昧)なのだが、穏やかで面白くて頭が良くて文章が上手くて私もこんな感じになれたら素晴らしいと思う人で、大変楽しく過ごしてきた。
会うのは二年ぶりなのだが、まず私は人の顔を憶えるのが苦手なので、待ち合わせをしたものの、お互い『本当にこいつだろうな』という怪しみながらの再会になってしまった。
生憎の雨だったが、一緒に天王寺動物園を巡り、二人ともなんやかや言いながら見て回るタイプだったのでなんやかや言いながら見て回った。天王寺動物園、台風の影響がまだ残っていて、リス舎は壊れているし、コアラ舎のユーカリは倒れ、あっちこっちで台風の爪痕を感じて大変そうだった。そして、大阪らしいなあと思ったのが、動物の名付けがツウ、テン、カクとかハルカスとか、いちいち大阪らしく名付けているのだ。お友達曰く、大阪人はあえてそういうところで普通以上に大阪人らしく振舞ってしまうところがあり、これはそれに当たるということだった。
お昼は動物園から一旦出て新世界の喫茶店でミックスジュース発祥の店でナポリタンとミックスジュースを頼んだ。
再度動物園を見て回った後は、これが本来の目的だったのだが、ブックカバー展に行き、ブックカバーをしこたま買い込んできた。前回開催された時のブックカバーがまだ消化しきっていないのだが、また大量に買い込んでしまった。
ブックカバー展が開催された店が北浜だったので、お友達が調べてくれた北浜レトロというおしゃれな喫茶店でお茶をして、無職ヤバいという話を聞いて頂き、一体どのぐらいお金があれば生きていけるんだろうといういい大人が言う話ではないような妄言を繰り返した。
その後、お友達と解散して地元に戻ってきた。お友達は当日体調がいまいちだったのだけれど一日中付き合って頂いて、嬉しくも申し訳なくもあり。
色々、普通の話(これで会話するぞ、と決めたネタがなくても話せるという意味)で盛り上がれるぐらいに打ち解けて話せそうな予感がしたので、今度はまたそう遠くない内にまた会えたら良いなあと思いました。
そして私は仕事が決まり、再び働くことになりました。