越冬

訴えたいことが、ないんです

積ん読

積まれている。

とりあえず手に入る内に、出版業界を応援するつもりで、目につくものを買い続けてきた結果、どんどん積み上がった。積ん読本は積ん読袋と読んでいる紙袋にまとめて入れているのだが、段々その中にも入りきらなくなってこようとしている。

一体、今この袋の中にどれだけ未読の本があるんだろう。

一度リストアップしてみたいと思っていた。袋から取り出してみると、多いような思っていた程でもないような気がしつつ、下にその作品名を挙げていく。

 

『百頭女』マックス・エルンスト

灯台守の話』 ジャネット・ウィンターソン

『月の部屋で会いましょう』 レイ・ヴクサヴィッチ

『なんらかの事情』 岸本佐知子

エドウィン・マルハウス』 スティーヴン・ミルハウザー

悪童日記アゴタ・クリストフ

『侍女の物語』 マーガレット・アトウッド

『暗黒 上・下』 アロイス・イラーセク

『スキャナーに生きがいははい』 コードウェイナー・スミス

『アルファ・ラルファ大通り』 コードウェイナー・スミス

『三惑星の探求』コードウェイナー・スミス

『合葬』 杉浦日向子

ギリシア神話を知っていますか』 阿刀田高

旧約聖書を知っていますか』 阿刀田高

新約聖書を知っていますか』 阿刀田高

『郊外へ』 堀江敏幸

日影丈吉傑作館』 日影丈吉

ミュシャのすべて』 堺アルフォンス・ミュシャ館協力

『いろいろな人たち』 カレル・チャペック

『園芸家の一年』 カレル・チャペック

『ジーヴズの事件簿 大胆不敵の巻』 P・Gウッドハウス

灯台へヴァージニア・ウルフ

魔の山 上・下』 トーマス・マン

『昭和史 戦後篇』 半藤一利

『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』 ジョン・ル・カレ

『旅は驢馬をつれて』 スティヴンスン

百年の孤独』 ガルシア=マルケス

『あの頃』武田百合子

 

ここから内田百閒シリーズ

百鬼園先生言行録』 内田百閒

『間抜けの実在に関する文献』 内田百閒

忙中謝客』 内田百閒

『深夜の初会』 内田百閒

百鬼園戦後日記』 内田百閒

サラサーテの盤』 内田百閒

『贋作吾輩は猫である』 内田百閒

ノラや』 内田百閒

まあだかい』 内田百閒

タンタルス』 内田百閒

阿房列車』 内田百閒

『立腹帖』 内田百閒

『内田百閒』 新潮日本文学アルバム

『内田百閒文学散歩』 備仲臣道

『内田百閒と私』 中村武志

 

数えてみたら、44冊である。本棚にまだ何かあるような気もするが、袋に無いものの捜索は諦める。50冊超あると思っていたので、思ったよりも少なくて、良かった、と思うべきか。

さて一体ここから今年中に何冊読めるだろうか。

 

 

備忘

早稲田文学女性号増刊 ルシア・ベルリン『掃除夫のための手引書』

創元SF文庫 レイ・ブクサヴィッチ『月の部屋で会いましょう』

足揉み

足のマッサージにはちょっと自信がある。才能があるんじゃないかと思っている。

特に専門的な知識はないが、私の足揉みには無限の可能性が秘められている。

時々足ツボマッサージやら、リフレクソロジーやらに行くが、足揉みだけなら私の技術も負けていないんじゃないかと思う。というか、そこらのマッサージ屋には出来ないことが私にはできる。

 

何ができるかというと、時間をかけてひたすら揉むことができる。商売じゃないので、片足一時間、両足で二時間。ひたすら足だけを揉む。それだけ揉むと人の足はとてもいい具合になる。私はそれを知っている。

マッサージ屋は二時間コースともなれば全身くまなくやるだろうが、本当なら足だけで二時間かけてもよいのだ。足揉みを真剣にやり出すと、片足一時間は普通にかかってしまうのだ。

まず、私の場合、台湾式のようにいきなり全力で足ツボを押したりはしない。まずはやわやわと、足の裏全体を柔らかめに揉む。柔らかめに揉んで、硬く強張った足の裏をほぐしていく。全体を揉んでほぐしていったところで、おもむろに足ツボを押していく。一気に強くは押さず、じわじわと力を強くしていく。そうすると、だんだん痛さに耐えられる程度に奥深くまで足ツボを押していける。そしてふくらはぎも揉みほぐす。足首と、ふくらはぎの裏面を始めは弱めに、徐々に強く揉みほぐす。

これをひたすら時間をかけて両足揉む。上手く揉みほぐれてきて、調子が良くなってくると、お腹の働きがよくなるのか、お腹がギュルギュル言い出す。目安としてお腹が鳴るまで頑張ろう。

 

と、いうような感じで揉むと実に良い感じで足が解れる。いきなり力を入れすぎて足を痛めることもない。おすすめなんであるが、私の技術は他の人にしか使えないので、私がもう一人いて、お互いに足を揉みあえたらいいのになあ、誰か足を揉んでくれないかなあ。二時間も揉んでくれたら最高なのになあと思うんである。

夏休み、満喫

と書くと夏休み中に何かしたみたいで、やや嘘になるのだが、この七月八月と、頑張って遠出したので思い出しつつ書いていきたい。

 

七月

ベルギー奇想の系譜展を観に東京へ行った。

目的はこの展覧会の目玉であるトゥヌグダルスの幻視、ヒエロニムス・ボスの作品である。昔からボスが好きだったので、これは観に行かねばなるまいと、東京渋谷のbunkamuraまで出掛けていった。ボスの作品は素晴らしく、それ程大きくないキャンバスに、緻密で幻想的な世界が繰り広げられていた。その他は、中世のボスに影響を受けた作品を興味深く見た。その後、bunkamuraの近くにあるカフェ、ドゥ・マゴでお茶をした。ジョジョに出て来るカフェだ……というしょうもない感慨に浸りながら。カフェは素敵なカフェだった。

その後、ネットのお友達で、かれこれ五年は会っていなかったであろう世田谷在住のマダムに会ってきた。旧交を温められて良かった。東京は前にも行っていたけれど、別の人に会っていたせいで、なかなか会えていなかったのだ。東京は行くたびに、新幹線で行けばすぐだと思い、またすぐに来ようと思うのに、次に来る時には間が空いてしまう。今回も、またすぐに来よう、会いたい人に会おうと思って名古屋に帰った。

 

八月

お盆の間に京都に行った。

行きたい行きたいと思って、なかなか行けなかった上賀茂神社と下賀茂神社に行ってきた。行きたい行きたいと思いつつ行けなかった場所が多すぎる。京都なぞ新幹線で40分程なのに、何故こう腰が重いのか。

それはさておき、ようやく重い腰を上げて行った京都は大変良かった。バスに乗ったのも久しぶりだが、真夏の京都は意外にそれほど混まないようで、バスに乗ったまま立ち往生ということもなく、スイスイと進んで行った。上賀茂下賀茂は一度行ったことがあるのだが、美しいので再度訪れたいと思っていた所だ。夏休みで国宝を特別公開しており、どちらも見ることが出来て良かった。

そして下賀茂神社では古本市がやっており、ここでこれを見だしては時間が、と思いつつも全部の店を見て回ってしまった。面白かった。やはり京都は大学が多いせいか古都だからなのか、古本市にしても、文化の香りがするなあと羨ましく思う。京都は京都であることを誇りに思っていることが、町の中を見ているだけで伝わってくる。いい所も面倒な所もあるのだろうけど、ずっとこの空気が続いてくれたらいいなと思った。毎回断念しているが、今度こそ、真冬の京都に行ってみたい。完全防備で。

贅沢は素敵だ

最近、私の周りで一大節約貯金ブームが来ている。

私に来ているわけではなく、私の周りに来ている。

皆、ある程度歳を取って、将来に対する不安とか、そろそろ真面目に貯金せねばとか、思っているらしい。

しかし私は今、時計が欲しい。

今まで、安い時計を使ってきた。今使っているのは三万円ぐらいの時計だ。デザインは気に入っているし、特に不足は無いのだが、欲しいのだ。高級腕時計が。

世間ではダニエルウェリントンだか何だか、おしゃれな、おしゃれというかノームコア的な時計が流行っているが、私が欲しいのはそういう何となくおしゃれでまあまあな腕時計ではない。ガチの高級腕時計。ガチのやつが欲しいのだ。

ガチとは何かというと、見た目の好みを言うならブレゲのクラシック、パネライのレディオミールがいいのだ。いかんせん、男物の盤面がでかい物であって、私のように背も無ければ腕も貧弱な者には到底男物の腕時計は着けこなせない。そして流石に高すぎる。

女性ものとしてはカルティエのタンクアメリカンがいい。女性らしく素敵だ。私は周りをダイヤで囲んで頂く必要は無いので、その点あまり高くなりすぎない。お値段三桁万円だが、いつかは欲しい。そういう憧れの品である。

そして先日、バーゲンも始まったし、人々にボーナスも出たことであるので、人混みに紛れて見て回れるだろうと思って、高級腕時計売り場に行って来たのだ。しかし行ってみて分かったのだが、誰もいない。ほとんどいない。ボーナスが出たから高級腕時計買うちゃろ、という輩は世の中には滅多にいないらしい。もちろん高級腕時計様はバーゲンなどに紛れて値下げなどしないので、白い値札のまま燦然と光り輝いていらっしゃる。

そんな人っ気のない高級腕時計売り場を私は歩いてきた。色々見て回って来た。高島屋にも、三越にも行った。店員は私が客ではないと見抜いたのか、軽く声を掛けて後は放置だった。

そうして色々見て回ったところ、やはり高い。そして盤面がでかい。そして画像で見て良いと思ったものでも生で見るとやはり違って見えるということが分かった。

生で見て回った結果、ロンジンが結構好みだと分かった。ロンジンの某シリーズはタンクアメリカンに似ていないだろうか。そして機械式に拘りがないので、クォーツでも構わない者としては、ロンジンはちょうどいい。値段も高級腕時計入門としては程良い値段ではなかろうか。

今後はロンジンを中心に見て回って、これぞという物が見つかったら、思い切って買いたい。できれば。数年以内に。

無呼吸

うかうかしている内に6月になってしまった。

特に何もしていないが、ここ数日の出来事を振り返ってみる。

 

親友の結婚式が11日に行われる。身内だけで挙げるので私は出られないが、先日少し親友と話をして気持ちが落ち着いた。なんというか、勝手に遠くに感じてしまっていたのを少し引き戻された感じ。

結婚祝いはバスタオルがいいというので、私渾身のチョイスで選んで配送した。喜んでくれるといいが。

 

それから、話は変わるが無呼吸症の人から無呼吸症の症状について話を聞いたので忘れぬ内に記しておく。

私もたまに寝ている時に呼吸が止まって、フガッとなって起きることもあって、無呼吸症候群ではないかと疑い検査を受けたこともある が、結果違っていた。実際無呼吸症の人に聞いたところ、フガッとなって起きるとかいう感じではなく、夜中に起きると頭がガンガンしている(酸素不足の為に頭痛が起きている)とか、口の中がカラカラになっている(鼻で呼吸ができず、口で呼吸しようと口を開けるがそれも叶わず)といった状態になるらしい。

私はそういった症状は無かったので、やはり違うようだ。言われてみると成る程という感じだったので、憶えておきたい。

さよならの代わりに

親友が結婚することになった。妊娠もしている。

よかったね、おめでとう。幸せになってね。という気持ちも確かにあるが、本当のところ、寂しい。とてつもなく寂しい。

親友とはよくフラッと色々な所にでかけた。仕事の都合で、一緒に旅行に行くような遠出はできなかったけれど、彼女が運転する車でよくフラフラとあてもなく出かけていった。仕事と、家族間の問題でストレスが多い彼女が、休みが出来ると『暇か?』とメールが来た。私は暇だよと応えて、そうしてよく出かけて行った。車で、何処へ行くでもなく、ただやみくもにそこらを走り回っていた。車を走らせながら、仕事の事や家族の事をポツポツと話していた。何処かへ行きたいのに、何処へ行けばいいのか分からない。でもじっとしていることも出来なくて、私を乗せて彼女は夜の街をドライブしていた。

暇が出来れば時々会っていた私達の会う頻度がグッと下がったのは去年からだった。休みが不定期な彼女からの誘いを待つ形で、私達はいつも会っていた。久々に会って話を聞くと、お見合いをした相手と上手くいき、その人とデートを順調に重ねているようだった。そう聞いて、なんとなく、彼女が今までよりも纏っている雰囲気が女らしく、綺麗になったような気がした。良い恋愛をしているのだと思った。

それからは、もっと会う頻度が下がっていった。激務でもあった彼女は、休日も持ち帰りの仕事が多く、休みが休みではなかった。そして何とか確保した本当の休みを、彼と会うことに使ってしまうと、もう私と会う時間までは残っていないのだった。

仕方がないことだと思う。私は遅まきながら、ただでさえ忙しい彼女が結婚するということは、こういうことなのだと気がつき、少し寂しい思いをしていた。彼女が結婚してしまえば、旦那さんの手前、より会いにくくなるだろうことは想像出来るので、この付き合いが上手くいくことを願いながらみ、自分の中でこんなにも身近だった彼女が突然ぽっかりいなくなってしまうことにまだ気持ちの整理をつけられないでいた。他にも友人はいるし、結婚して子供もいる人はいるのだが、彼女ほど忙しい人はいなかったし、彼女ほど近い付き合いをしてきた人もいなかった。

ある日、彼女から、妊娠したかも、というメールが来た。結婚することは決まっていたが、はっきりといつ、とは決まっていなかったと思う。職場にも、まだ話をしていなかった筈だった。でも子供が出来てしまった。私は、とにかく、自分の体と子供のことを最優先に考えて、と返信した。職場のことは、最悪放り投げてでも、自分の体と子供、自分の人生のことを大事にして、と。

そして、彼女は大急ぎで身内だけの結婚式を決めて、結納の日取りを決めて、職場にも報告をした。つわりが酷くて大変らしい。激務の中、無理をしなければならない状況で体調が心配だが、無事に乗り切ってくれることを願うしかない。大変だけれど、一度に終わって良かったと、後から思えることを願うしかない。

でも、子供が出来たから、ただ結婚しただけの時とは違って、もう二人で出かけることは無くなるんだ。

そう思い当たってから、寂しさが一気に襲ってきた。もっとフランクな付き合いだと思っていたのに。私と彼女が、どれだけいつもの場所、いつものコース、いつもの話をしているかを思い出して、それら全てがもう繰り返されることはないのだと気がついて、本当に寂しくなった。彼女はこれから待ち受ける新生活に精一杯で、そんな寂しさなど感じている暇は無いし、私も寂しいなどと彼女に言うつもりもない。そんなことを伝える付き合い方でもなかった。でも、私達は長い付き合いで、彼女も私も、なかなか言えない家族の事情や、私達だけの思い出が沢山あった。彼女が、新しい家族を作り、幸せになることを素直に願うために、この寂しさをここに吐き出しておく。

いつか行こうねと約束していた場所は、鎌倉と奈良。いつか行こうね。私は忘れないよ。幸せになってね。