越冬

訴えたいことが、ないんです

小市民

浪費をテーマにした同人誌が届いた。

ネットでアンケートを集めて、結果を冊子をまとめたものだ。

楽しみにしていたので早速開いて読んでみると、一人目から『思い立って急に無職。からのフルスロットルで遊びまくり、二ヶ月で150万使う』というとんでも無くパンチの効いた人が現れた。

二人目も気持ちの良い散財っぷりで、素晴らしく面白いので一気に読むのは勿体無い気がして私は一旦本を閉じた。

浪費。それは甘美な誘惑。思い切って大枚をはたいて、あー楽しかったと思うも良し、こんな事に使ってしまったと思うも良し。何にどれだけ使うかはその人の考え方がモロに出てくるので面白い。

 

私も一度、大金を自由に使ってみようと思い立って、やってみたことがある。二年か三年ほど前の話だ。

社会人生活も長くなってきたし、ここらでパアッと使ってみてもいいんじゃないだろうか。

そう思って、私は六十万を自由に使って良いお金として手元に置く事にした。もうここで既に、キリのいい百万ではない所に私の気の小ささが出ている。

 

さて、この六十万ものお金をどうしようか。

私は考えた。六十万を何かの大きな物に一極集中させるか、まあまあのものを沢山買うか。六十万もの金額を自由に使える機会はそうそう無いので、ここは一つ大きなものを買いたい。

そう思いながら私は、まず定期を買いに行った。定期を買い、交通系カードをフルチャージし、それで五万ほど飛んで行った。

ああっ、五万円も。残りはもう五十五万になってしまった。

そう思ってしまったところでもう私の運命は決まっていた。結局私は大物は何一つ買えなかった。三十万ぐらい出してダイヤのネックレスを買おうなどと夢想していたが、そんな大それた出費は出来なかった。服を何着か買い、靴を買い、せめてもとフェラガモで定期入れを買った。定期入れである。いくらだったかもう思い出すことも出来ない。数万はしたと思うが、印象深いほどの金額ではなかったのだろう。

そして残りが二十万ほどになったところで、もうこれだけになってしまったと悲しみに包まれ、その後は散財ではなく、この二十万でこの後いつまでお金を下ろさずに生活できるか、出来るだけ我慢してみようという真逆の方向に走った。一転して節約生活に入った私の心は、思い切って浪費をするのだと気負っていた時よりもむしろ穏やかだった。

 

あれから時が過ぎ、この同人誌のようにあの六十万で何を買ったか思い出そうとしてみたが、結局定期入れ以外の服や靴は、一体どれの分だったか思い出せなかった。アンケートに答えた浪費者達は、あれに使った、これに使ったと楽しい思い出と共に答えられるのだろう。それに引き換え、私は六十万ものお金を何の思い出にもならない使い方をしてしまった。

小市民だからだ。こんな事に大枚を使って大丈夫だろうかという不安がブレーキをかけさせたのだ。結局最終的には全部使ったんだから、おどおどしていないで、ダイヤのネックレスを買ってしまえば良かったのだ。と、今となっては思う。だが、どうせまた六十万を手にする事があっても、ダイヤのネックレスは買わないのだろう。

しかし小市民は浪費を諦めたわけではない。小市民が狂ったように散財できる可能性があるとすればそれは宝くじ。宝くじの一等が当たること。その時には私の首元に燦然とダイヤのネックレスが光っていることだろう。

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