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越冬

訴えたいことが、ないんです

自転車泥棒

またしても体調が悪い。

元々持病として婦人科の病気があったのだが、ここ二、三年でにわかにヘルニアになり、寒くなると腰が痛むようになった。ヘルニアは本当にヘルがニアい。こりゃえらいことだ、と思っていたら、この一週間突然頭痛に悩まされることになった。一週間ぶっ続けの頭痛である。時々ビッグウェーブがやって来る。余りに痛い上、体調不良が続きすぎて精神が限界を迎え、痛みに悶絶しながらもおいおいと号泣していた。

と、そういった調子でここ数ヶ月、体調が一進一退しているせいで、病欠でバンバン有給を取りまくっている。職場の人が優しいので、体調不良で休むことを咎められはしないが、こうも休んでばかりいると仕事をクビになる日も近いのではないかと恐れ慄いている。仕事をクビになればお金が貰えず、お金が貰えなければなけなしの貯金に手を付けて、それが底をつけばあっと言う間に生活困窮者の出来上がりである。そうは言っても実家暮らしではあるのであっと言う間に、という訳ではないかもしれないし、身一つで路上に放り出されることはないかもしれないが、病気→失業→困窮という流れるような三段落ちがあまり絵空事とは思えなくなっている。

仕事が大好き、ということは決してないのだが、仕事を失うと困る。お金が貰えなければ困る。などと考えていると、昔見た映画の自転車泥棒が思い起こされる。

 

自転車泥棒を見ていない人に説明すると、第二次世界大戦後のイタリアで、仕事がなく生活苦にあえぐ父親が、運良くポスター貼りの仕事にありつく。ポスター貼りの仕事をするには自転車が必要なのだが、自転車は質屋に入れてしまっており、父親は母親にベッドのシーツを代わりに質入れさせて自転車を受け出して来る。調子良くポスター貼りの仕事に精を出していた父親だが、その自転車を何者かに盗まれてしまう。自転車が無ければせっかくありついた仕事が出来なくなってしまう。父親は息子と共に自転車泥棒を探しに行くが、怪しい男を見つけたものの取り逃がしてしまい、息子に八つ当たりまでしてしまう。腹が減った親子はレストランに入るが、豪華な食事を楽しむ身なりの良い客達と違い場違いな格好の上、高価な代金にパンとチーズを頼むのが精一杯。満たされぬ腹のまま、惨めさを抱えてレストランを出た親子。これからどうしようかと途方に暮れた父親は、広場に並べられた沢山の自転車に魔が差して手を出してしまう。首尾良く手に入れるどころかあっという間に気が付かれ、怒る群衆に殴る蹴るの暴行を受ける父親。息子の鳴き声で群衆は冷静になり、子供に免じて許してやると警察に突き出されるのだけは免れる。ボロボロになった父親と、悲しげな息子。自転車はない。これからどうなってしまうのだろうか、という暗澹たる気持ちのままに話は終わる。

この映画を初めて見た時は、人間仕事があってご飯が食べられればそれだけで充分幸せなのだと心底思った。仕事があればお金が手に入る。お金があればご飯が食べられる。これ以上なにを望むことがあるだろうか。人間仕事とご飯だ。当時の私は深く納得した。そして、何かと言うと自転車泥棒のことを思い出しては、人間仕事とご飯だと思うようになった。

その仕事が今、脅かされているのである。仕事が出来なければご飯が食べられない。なけなしの金でレストランで息子と共に水とパンとチーズを食べることになる(私に息子はいないが)。自転車を盗めば群衆にボコボコに殴られるだろう。私に息子はいないから止めてくれる人もいない。もう駄目だ。

というように一気にもう駄目だ感が出て来る。何とかして仕事は続けないと清太のように駅のホームで栄養失調で転がって死ぬことになる。清太とは火垂るの墓の清太のことである。

このように、仕事を失うと人は急転直下なので、何とかして健康を維持し、仕事を続け、三度三度のご飯を食べていきたい。