越冬

訴えたいことが、ないんです

ゲスのクラウドファンディング

わりと募金する方である。日本赤十字、JPF、クラウドファンディングや、最近は児童養護施設なんかにも募金した。そうするとはたから見ると篤志家という感じにも見えそうだが、勿論違う。募金する動機は、この先も住み良い日本が続いて欲しいから、それが一番正直な理由だ。私が年老いても、この先も今のようにまあまあ住み良いいい感じの日本が続いて欲しい。そんな気持ちで募金している。

動機がそれなので、例えば災害があれば住み良い日本をキープする為に募金する。日本赤十字やJPFなんかはその例だ。それから児童養護施設は、子供は日本の未来を担うので、先行投資的な気分で募金する。貧しい不幸な子供が沢山いるよりは、たとえ生い立ちに不幸があっても教育を受ければなんか立派な子供が育って、住み良い日本を維持してくれるんじゃないか。そういう下心である。そしてクラウドファンディング。これは主にready forとacademistに募金している。アカデミストはその名の通り学術系クラウドファンディングである。日本の研究者に投資ができる。科学に金を注いで日本が学術先進国であり続けて欲しい。何か有用な発見をして特許を取り豊かな日本を維持して欲しい。下心満載で募金している。

そして、ready forなんだが、これはご存知の方もいると思うが、日本最大のクラウドファンディングのプラットホームである。募集の内容に特に制限は無いので、多種多様な募集がされている。私は先に述べたような理由から、未来を守る為の先行投資としてなんかごちゃごちゃと募金している。ごちゃごちゃやっていたら、結構長いことやっていたようで、先日ready forの懇親会的なものにご招待を受けたというか、懇親会に申し込みできる案内を受けたが、申し込みはしなかった。何故なら私は篤志家では無いからである。特にready forは、応援半分、ウォッチ半分であるので、とても皆さんと懇親出来るような立場ではない。ready forは純粋に応援して募金するものも沢山あるが、しかし何と言っても面白いのは、そんなもん自分の金でやれ、人の財布を当てにすんなボケが、と思うような案件が成立するのか否か、ニヤニヤと見守ることである。

例えば、大阪でバーを改装したいので改装費を募集します!と書いてあるのだが、何故かプロフィールには某高級外車に乗ってます、という謎の自慢混じりのプロフィール。アホか。売れ。その車を。車を売って改装費に充てろ。そんでお前は軽にでも乗っとれ。ーーーという、こんなツッコミどころ満載の募集案件を見つけたら、すぐさまお気に入りに登録する。そして一ヶ月後、無事に不成立になっているか見に行く。やっぱり不成立である。せやろ。見たか!世の中甘くないんや!ばかちんが!とエセ関西弁できめつける。

そういうゲス活動をしていたところ、Facebookでとあるクラウドファンディングの案内があった。誰かがいいね!を押したせいで記事が上がってきたようなのだが、誰かの繋がりの知らないお方が、新しく事業を展開するために、資金の一部を募集する、という話であった。私は俄かに色めき立った。

今まで確かに楽しい案件は沢山あったが、直接の知り合いがやっていたことはない。これも直接の知り合いではないが、ワンクッション置いた他人である。近い。これは面白い。

私は早速、そのFacebookの記事のコメント欄を見に行った。皆の反応が気になったからだ。もし繋がりのある人が募金を集めています、と記事を上げたらどうだろう。無視するのも微妙だし、かといって勿論金は払いたくない。つまりこれは、人の繋がりを金に変えようとしている訳で、事業の展開など、どう考えても銀行で金を借りろと言いたくなるような話の場合、どうコメントするのが最善なのか。私はワクワクしてコメント欄を見た。

『すごい!僕に出来ることがあったら何でも言って下さいね!応援しています!』(金は出さない)

『頑張ってね!私もクラウドファンディングをやっているので応援よろしく!』(まさか逆に要望されるとは。強い。見習いたい)

『応援してるよ!拡散しておくね!』(これが一番多い反応だった)

皆、お金は出せないよと暗に含めつつ、応援してます!拡散しておくね!いいね!ということであった。

そして募集している総額100万に対し、実際集まっている額は4万であった。Facebookで友達が沢山いても、お金は集まらない。集まるのはいいね!だけなのである。いいねで腹は膨れないんである。

実はこの記事を見かけたのはしばらく前のことで、つい昨日、思い出してその案件を見に行ったところ、やっぱり4万円から増えていなかった。このまま行くと不成立まっしぐらである。あと何日かあるが、どうなるのか、ニヤニヤと見届けたい。

ready forや、他のクラウドファンディングでもそうだが、見返りが特に魅力的なものでなくても成立する場合は、公共性が高いもの。社会福祉に貢献しているものが圧倒的に多い。反対に、そんなモンは働いて金を貯めてやれと思うものや、事業資金なら銀行から借りろと思うものは大体不成立になっている。金は安易には手に入らない。それでいいのである。待ちぼうけの歌のように、うっかり労せずして大金を手にすると、次も期待してしまう。そして本来するべき正当な努力やアプローチを忘れてしまう。それではいけない。金は貯めるか、銀行から借りるべきである。そして、借りた金は汗水垂らして働いて、返さねばならんのである。クラウドファンディングで資金調達、雲を掴むような話であって、掴めぬのは道理なんである。