越冬

訴えたいことが、ないんです

風邪をひいた

風邪をひいた。

喉が痛いな、と思い、あれよあれよという間に風邪になってしまったのだった。

一週間ほど熱っぽく怠い体のまま会社に通い続け、わりと早い時点で喉の痛みは治まり、ようやく体の怠さは抜けてきたのだが、鼻水だけはまだ続いている。

 

読書の記録もつけぬまま、本を買っては読んで捨てている。多分読んだことも忘れてしまうんだろうなあと思いつつ。

それで、本を捨てた。本を入れている引き出しが限界になったので、六十冊と決めて捨てた。買った時に数千円したものや、あまり品揃えの悪い本屋では簡単に再入手できないと分かっているものは二の足を踏んでいたが、放っておくとその手の本で溢れかえることが分かったので、とにかく捨てていくことにした。

石牟礼道子の本を亡くなった折に色々買ったのだが、読み終えたのでどかんと捨てる。エッセイはほとんど女性のものばかり読んでいて、それは生活の匂いがするところが好きだからなのだが、石牟礼道子のエッセイはその生活の匂いが強すぎて、情感たっぷりで素晴らしいには違いないのだけれど、手放すことにした。

昭和の女性は、やはり家事能力が高いせいなのか、こしらえごとを疎かにすることに警鐘を鳴らす話が多いのだけれど、もう平成も通り過ぎてしまった私には「そんなもんですかねえ」という気持ちになる。生活の話は好きなのだが、現代社会では到底追いつかないような話を持ち出されると鼻白む厄介な読者、それが私だ。

ところで先日私は、三万円以上したジャケットの袖の裁縫が悪くて、自力でまつり縫いをしたのだが、まずまつり縫いのやり方をググるところから始めた。そしていい値段を取っておきながら悪い縫製である某ブランドへの呪詛を撒き散らしながら一時間以上かけて袖をまつった。出来は今ひとつだが、とにかく糸でまつられたので、用は足すことと思う。ああ、生活力があれば、と思うが、裁縫の腕を上げるほど手芸をする気も起きないのである。