越冬

訴えたいことが、ないんです

お金があったら

3億円当たったら、という想像はよくしている。大体、家を買って、資産を分散して、贅沢するとすぐに消えてしまう程度のお金なので、どの程度のささやかな贅沢を自分に許すか、という妄想に終始する。

先日、ネットで30億円あったらどうしますか?というトピックを見た。宝くじで3億円当たったら、という妄想は皆よくしているようだが、更にその十倍となると流石に戸惑っている人が多かった。なにせ30億円である。ちょっとやそっと羽目を外したぐらいなら消える金額ではない。1億円の豪邸を建てようが、1千万円の高級車を買おうが、まだまだお金は残っている。そうなると人は戸惑う。贅沢しようといっても、普段の生活からかけ離れていて、30億円を使い切る人生というものを思いつかないのだ。クルーザーを買うとか、世界一周の旅に出るとか、ブランド物を買いまくるとか、思い思いの夢を挙げていたが、それでもお金は残っていそうである。もう仕方がないので子孫に残すという自分で使うことを諦めるような発言まで出ていた。

30億円、あったら確かに凄いだろう。私も立派な家を建てて、素敵な内装にして、家政婦さんは雇うわブランド物を買うわ海外旅行に行くわ全力で使いまくるかもしれない。あえて趣味でもないブランド物を無理して買うことはないかもしれないが、コレクター気質があるので、茶碗、棗、絵画を買ってしまうかもしれない。そうなるといくら30億円といえど少々心許ないかもしれない。

だが、どうだろう。3京あったら。そんな極端なと言われるかもしれないが、3京あったら。生きている内には絶対に使いきれない額である。子供に残すとか残さないとかいうのも越えた額でもある。3京ある人生、考えてみて欲しい。私は3京あったら、逆に贅沢品も買わず、豪邸を建てることも無くなるような気がしている。使いきれない富を前に、このお金を使って凄い生活を送るんだというガッツが湧いて来なくなる気がする。3京あればデパートの商品も買い占められる。その店のここからここまでどころか、この街の商品全部、という事だって可能だが、金の力で何かしようという気持ちが逆に消えてしまいそうな気がする。30億円までは見栄を張りたい下心もあるが、3京には無い。むしろ市井の人から一歩引いた気持ちになって、このお金を使って人々や社会に干渉するより、後ろでそっと見守りたい、そんな気持ちになるような気がしている。服は高くもなく安くもなく、鞄も使いやすいただの鞄、車は普通に走る国産車。何者でも無い人間として、ただ普通に生きて行くのではないか、そんな気がしている。