越冬

訴えたいことが、ないんです

夏休み、満喫

と書くと夏休み中に何かしたみたいで、やや嘘になるのだが、この七月八月と、頑張って遠出したので思い出しつつ書いていきたい。

 

七月

ベルギー奇想の系譜展を観に東京へ行った。

目的はこの展覧会の目玉であるトゥヌグダルスの幻視、ヒエロニムス・ボスの作品である。昔からボスが好きだったので、これは観に行かねばなるまいと、東京渋谷のbunkamuraまで出掛けていった。ボスの作品は素晴らしく、それ程大きくないキャンバスに、緻密で幻想的な世界が繰り広げられていた。その他は、中世のボスに影響を受けた作品を興味深く見た。その後、bunkamuraの近くにあるカフェ、ドゥ・マゴでお茶をした。ジョジョに出て来るカフェだ……というしょうもない感慨に浸りながら。カフェは素敵なカフェだった。

その後、ネットのお友達で、かれこれ五年は会っていなかったであろう世田谷在住のマダムに会ってきた。旧交を温められて良かった。東京は前にも行っていたけれど、別の人に会っていたせいで、なかなか会えていなかったのだ。東京は行くたびに、新幹線で行けばすぐだと思い、またすぐに来ようと思うのに、次に来る時には間が空いてしまう。今回も、またすぐに来よう、会いたい人に会おうと思って名古屋に帰った。

 

八月

お盆の間に京都に行った。

行きたい行きたいと思って、なかなか行けなかった上賀茂神社と下賀茂神社に行ってきた。行きたい行きたいと思いつつ行けなかった場所が多すぎる。京都なぞ新幹線で40分程なのに、何故こう腰が重いのか。

それはさておき、ようやく重い腰を上げて行った京都は大変良かった。バスに乗ったのも久しぶりだが、真夏の京都は意外にそれほど混まないようで、バスに乗ったまま立ち往生ということもなく、スイスイと進んで行った。上賀茂下賀茂は一度行ったことがあるのだが、美しいので再度訪れたいと思っていた所だ。夏休みで国宝を特別公開しており、どちらも見ることが出来て良かった。

そして下賀茂神社では古本市がやっており、ここでこれを見だしては時間が、と思いつつも全部の店を見て回ってしまった。面白かった。やはり京都は大学が多いせいか古都だからなのか、古本市にしても、文化の香りがするなあと羨ましく思う。京都は京都であることを誇りに思っていることが、町の中を見ているだけで伝わってくる。いい所も面倒な所もあるのだろうけど、ずっとこの空気が続いてくれたらいいなと思った。毎回断念しているが、今度こそ、真冬の京都に行ってみたい。完全防備で。

贅沢は素敵だ

最近、私の周りで一大節約貯金ブームが来ている。

私に来ているわけではなく、私の周りに来ている。

皆、ある程度歳を取って、将来に対する不安とか、そろそろ真面目に貯金せねばとか、思っているらしい。

しかし私は今、時計が欲しい。

今まで、安い時計を使ってきた。今使っているのは三万円ぐらいの時計だ。デザインは気に入っているし、特に不足は無いのだが、欲しいのだ。高級腕時計が。

世間ではダニエルウェリントンだか何だか、おしゃれな、おしゃれというかノームコア的な時計が流行っているが、私が欲しいのはそういう何となくおしゃれでまあまあな腕時計ではない。ガチの高級腕時計。ガチのやつが欲しいのだ。

ガチとは何かというと、見た目の好みを言うならブレゲのクラシック、パネライのレディオミールがいいのだ。いかんせん、男物の盤面がでかい物であって、私のように背も無ければ腕も貧弱な者には到底男物の腕時計は着けこなせない。そして流石に高すぎる。

女性ものとしてはカルティエのタンクアメリカンがいい。女性らしく素敵だ。私は周りをダイヤで囲んで頂く必要は無いので、その点あまり高くなりすぎない。お値段三桁万円だが、いつかは欲しい。そういう憧れの品である。

そして先日、バーゲンも始まったし、人々にボーナスも出たことであるので、人混みに紛れて見て回れるだろうと思って、高級腕時計売り場に行って来たのだ。しかし行ってみて分かったのだが、誰もいない。ほとんどいない。ボーナスが出たから高級腕時計買うちゃろ、という輩は世の中には滅多にいないらしい。もちろん高級腕時計様はバーゲンなどに紛れて値下げなどしないので、白い値札のまま燦然と光り輝いていらっしゃる。

そんな人っ気のない高級腕時計売り場を私は歩いてきた。色々見て回って来た。高島屋にも、三越にも行った。店員は私が客ではないと見抜いたのか、軽く声を掛けて後は放置だった。

そうして色々見て回ったところ、やはり高い。そして盤面がでかい。そして画像で見て良いと思ったものでも生で見るとやはり違って見えるということが分かった。

生で見て回った結果、ロンジンが結構好みだと分かった。ロンジンの某シリーズはタンクアメリカンに似ていないだろうか。そして機械式に拘りがないので、クォーツでも構わない者としては、ロンジンはちょうどいい。値段も高級腕時計入門としては程良い値段ではなかろうか。

今後はロンジンを中心に見て回って、これぞという物が見つかったら、思い切って買いたい。できれば。数年以内に。

無呼吸

うかうかしている内に6月になってしまった。

特に何もしていないが、ここ数日の出来事を振り返ってみる。

 

親友の結婚式が11日に行われる。身内だけで挙げるので私は出られないが、先日少し親友と話をして気持ちが落ち着いた。なんというか、勝手に遠くに感じてしまっていたのを少し引き戻された感じ。

結婚祝いはバスタオルがいいというので、私渾身のチョイスで選んで配送した。喜んでくれるといいが。

 

それから、話は変わるが無呼吸症の人から無呼吸症の症状について話を聞いたので忘れぬ内に記しておく。

私もたまに寝ている時に呼吸が止まって、フガッとなって起きることもあって、無呼吸症候群ではないかと疑い検査を受けたこともある が、結果違っていた。実際無呼吸症の人に聞いたところ、フガッとなって起きるとかいう感じではなく、夜中に起きると頭がガンガンしている(酸素不足の為に頭痛が起きている)とか、口の中がカラカラになっている(鼻で呼吸ができず、口で呼吸しようと口を開けるがそれも叶わず)といった状態になるらしい。

私はそういった症状は無かったので、やはり違うようだ。言われてみると成る程という感じだったので、憶えておきたい。

さよならの代わりに

親友が結婚することになった。妊娠もしている。

よかったね、おめでとう。幸せになってね。という気持ちも確かにあるが、本当のところ、寂しい。とてつもなく寂しい。

親友とはよくフラッと色々な所にでかけた。仕事の都合で、一緒に旅行に行くような遠出はできなかったけれど、彼女が運転する車でよくフラフラとあてもなく出かけていった。仕事と、家族間の問題でストレスが多い彼女が、休みが出来ると『暇か?』とメールが来た。私は暇だよと応えて、そうしてよく出かけて行った。車で、何処へ行くでもなく、ただやみくもにそこらを走り回っていた。車を走らせながら、仕事の事や家族の事をポツポツと話していた。何処かへ行きたいのに、何処へ行けばいいのか分からない。でもじっとしていることも出来なくて、私を乗せて彼女は夜の街をドライブしていた。

暇が出来れば時々会っていた私達の会う頻度がグッと下がったのは去年からだった。休みが不定期な彼女からの誘いを待つ形で、私達はいつも会っていた。久々に会って話を聞くと、お見合いをした相手と上手くいき、その人とデートを順調に重ねているようだった。そう聞いて、なんとなく、彼女が今までよりも纏っている雰囲気が女らしく、綺麗になったような気がした。良い恋愛をしているのだと思った。

それからは、もっと会う頻度が下がっていった。激務でもあった彼女は、休日も持ち帰りの仕事が多く、休みが休みではなかった。そして何とか確保した本当の休みを、彼と会うことに使ってしまうと、もう私と会う時間までは残っていないのだった。

仕方がないことだと思う。私は遅まきながら、ただでさえ忙しい彼女が結婚するということは、こういうことなのだと気がつき、少し寂しい思いをしていた。彼女が結婚してしまえば、旦那さんの手前、より会いにくくなるだろうことは想像出来るので、この付き合いが上手くいくことを願いながらみ、自分の中でこんなにも身近だった彼女が突然ぽっかりいなくなってしまうことにまだ気持ちの整理をつけられないでいた。他にも友人はいるし、結婚して子供もいる人はいるのだが、彼女ほど忙しい人はいなかったし、彼女ほど近い付き合いをしてきた人もいなかった。

ある日、彼女から、妊娠したかも、というメールが来た。結婚することは決まっていたが、はっきりといつ、とは決まっていなかったと思う。職場にも、まだ話をしていなかった筈だった。でも子供が出来てしまった。私は、とにかく、自分の体と子供のことを最優先に考えて、と返信した。職場のことは、最悪放り投げてでも、自分の体と子供、自分の人生のことを大事にして、と。

そして、彼女は大急ぎで身内だけの結婚式を決めて、結納の日取りを決めて、職場にも報告をした。つわりが酷くて大変らしい。激務の中、無理をしなければならない状況で体調が心配だが、無事に乗り切ってくれることを願うしかない。大変だけれど、一度に終わって良かったと、後から思えることを願うしかない。

でも、子供が出来たから、ただ結婚しただけの時とは違って、もう二人で出かけることは無くなるんだ。

そう思い当たってから、寂しさが一気に襲ってきた。もっとフランクな付き合いだと思っていたのに。私と彼女が、どれだけいつもの場所、いつものコース、いつもの話をしているかを思い出して、それら全てがもう繰り返されることはないのだと気がついて、本当に寂しくなった。彼女はこれから待ち受ける新生活に精一杯で、そんな寂しさなど感じている暇は無いし、私も寂しいなどと彼女に言うつもりもない。そんなことを伝える付き合い方でもなかった。でも、私達は長い付き合いで、彼女も私も、なかなか言えない家族の事情や、私達だけの思い出が沢山あった。彼女が、新しい家族を作り、幸せになることを素直に願うために、この寂しさをここに吐き出しておく。

いつか行こうねと約束していた場所は、鎌倉と奈良。いつか行こうね。私は忘れないよ。幸せになってね。

春の思い出

桜の季節は終わった。この辺りでは、花はあらかた落ちて、新緑の季節になった。

桜も好きだが、桜よりも私は藤が好きだ。桜が終わると、藤の季節がやってくる。

藤には思い出がある。

近所の川沿いに、藤の棚のある家があった。随分樹齢の古い、立派な藤の棚のある家なのだが、藤の花が咲く季節が来ると、安い木戸賃を取って一般に公開していた。一体幾ら払っていたのか覚えが無いが、近所の人々は藤の季節が来れば皆いそいそとその家を訪ねたし、中学の頃には友人と二人で行った記憶もあるので、随分安かったに違いない。

川沿いにあったその家は、土手から下って降りると河川敷に藤の棚が広がっていた。小さな桟敷と、ベンチとテーブルがいくつかあって、藤の棚の下で飲食が出来るようになっていた。家の人が、田楽や里芋、心太やラムネを売っていて、私は田楽と言えばここで食べた田楽の味が思い浮かぶ。山椒の葉が田楽の味噌に載せてあって、美味しい田楽だった。

花が垂れ下がり、陰を作る下から外を眺めると、まぶしい程の光と、光を反射して煌めく川面が見えた。良い匂いを漂わせる花の周りを熊ん蜂が飛んでいた。

毎年の楽しみであったこの藤の棚は、ある年、川の護岸工事の為に河川を拡張することになり、取り壊されてしまった。

藤の棚が見事な公園は他にも沢山ある。だが、私にはこの小さな藤の棚と、一つの家族だけでやっているささやかな商売が好きだった。何もかもがちょうどいい小ささで、ちょうどいい大きさだった。

もうすぐ藤の季節がやって来る。

青っ洟の子供

本を読んでいると、昭和の子供はよく青っ洟を垂らしていたようである。

青っ洟、青っ洟とは何だろうか。

青っ洟の記述を読むたびに以前から気になっていた。私の人生で見かけた鼻水は無色か黄色っぽいもので、青っ洟と言われてもピンと来なかった。青っ洟というのだから、青、または緑。緑がかった鼻水なんだろう。自分でも他人でも見たことはない。

気になって調べたところ、風邪などをひいて細菌と戦い死んだ白血球があの白っぽい、もしくは黄色っぽい色の原因らしく、青っ洟は体内の白血球が細菌に負けている状態だとそんな色になるらしい。膿のようなもの、と言われて、そう言えば化膿した膿は黄色っぽいのもあるけど緑がかったものもあるような、と納得した。

昭和の子供は栄養状態が悪かったせいで、風邪をひいても風邪菌と戦って勝つ体力が無く、常に青っ洟を垂らしている子供が多かったのだ。栄養の良い今の子供達ではなかなかお目にかからないはずである。私も、ヘルニアに苦しんでいた時も、痛みに呻きながらも三度三度の食事の上におやつのアイスまで食べていたのだから、現代とは有り難い時代である。身体も何故身動きも取れないのにこんなに栄養を摂取できるのかと混乱したことだろう。

青っ洟の子供は栄養状態が悪かった昭和時代の話、昔の話ではあるけれど、何とは無しに懐かしい気持ちになる。

ついでに昭和の子供は袖口で鼻水を拭くので、袖口が鼻水の固まったのでカピカピになっていた、ともいう。ちゃんとちり紙で鼻をかめよ。それは風情じゃ済まねえぞ、と申し上げたい気持ちになる。

お金があったら

3億円当たったら、という想像はよくしている。大体、家を買って、資産を分散して、贅沢するとすぐに消えてしまう程度のお金なので、どの程度のささやかな贅沢を自分に許すか、という妄想に終始する。

先日、ネットで30億円あったらどうしますか?というトピックを見た。宝くじで3億円当たったら、という妄想は皆よくしているようだが、更にその十倍となると流石に戸惑っている人が多かった。なにせ30億円である。ちょっとやそっと羽目を外したぐらいなら消える金額ではない。1億円の豪邸を建てようが、1千万円の高級車を買おうが、まだまだお金は残っている。そうなると人は戸惑う。贅沢しようといっても、普段の生活からかけ離れていて、30億円を使い切る人生というものを思いつかないのだ。クルーザーを買うとか、世界一周の旅に出るとか、ブランド物を買いまくるとか、思い思いの夢を挙げていたが、それでもお金は残っていそうである。もう仕方がないので子孫に残すという自分で使うことを諦めるような発言まで出ていた。

30億円、あったら確かに凄いだろう。私も立派な家を建てて、素敵な内装にして、家政婦さんは雇うわブランド物を買うわ海外旅行に行くわ全力で使いまくるかもしれない。あえて趣味でもないブランド物を無理して買うことはないかもしれないが、コレクター気質があるので、茶碗、棗、絵画を買ってしまうかもしれない。そうなるといくら30億円といえど少々心許ないかもしれない。

だが、どうだろう。3京あったら。そんな極端なと言われるかもしれないが、3京あったら。生きている内には絶対に使いきれない額である。子供に残すとか残さないとかいうのも越えた額でもある。3京ある人生、考えてみて欲しい。私は3京あったら、逆に贅沢品も買わず、豪邸を建てることも無くなるような気がしている。使いきれない富を前に、このお金を使って凄い生活を送るんだというガッツが湧いて来なくなる気がする。3京あればデパートの商品も買い占められる。その店のここからここまでどころか、この街の商品全部、という事だって可能だが、金の力で何かしようという気持ちが逆に消えてしまいそうな気がする。30億円までは見栄を張りたい下心もあるが、3京には無い。むしろ市井の人から一歩引いた気持ちになって、このお金を使って人々や社会に干渉するより、後ろでそっと見守りたい、そんな気持ちになるような気がしている。服は高くもなく安くもなく、鞄も使いやすいただの鞄、車は普通に走る国産車。何者でも無い人間として、ただ普通に生きて行くのではないか、そんな気がしている。